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愛に還ろう
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お母さん

6月29日のイベントの日、レッスン中に父から電話があった。

スピカフェの合間に、父に折り返し電話してみた。


母が肺炎で寝込んでいるという。
近くの開業医に通って、点滴をしているのだが熱が下がらない。

ご飯も食べられないから治らないんだ、と、父。
39度も熱があったら水も飲めないし食べられないよ、と、わたし。

母は70歳。
すぐ入院させた方がいいよとわたしは言った。

前の旦那が30代で肺炎になった時、
入院せずに点滴に通って治るまで1ヶ月掛かった経験がある。

父は直ぐ、明日入院させると言った。
何かあったら電話ちょうだいと私は言った。


父の時代背景から、食べる=生きる という観念があるのはわかる。
食べていければ生きられる、戦前生まれの人だ。

それに、父は母をとても愛しているから、
病気の認識ができない。
死ぬかも知れない と思うと恐いから。

受け入れられないからすり変える。
食べないから良くならない。

それは幼い愛だ。
それしか知らない。
気持ちはわかる。

なぜなら父はわたしの中にあるからだ。

でも現実認識は、
母は高齢で体力もわたしより劣る。
わたしでも4~5日熱が39度、少し下がってまた上がってなんてしていたら、
きっと飲み食いなんてできないだろう。

父はわたしに話して、わたしの意見を聴いた。
そして認めた。

というより、認めたくて仕方なかったのだ。
続く不安と恐れに疲れていたのだから。


そして、母は肺炎、高熱がある。
わたしの中のお母さんはハートに激しい怒りを抱えている。
愛について。
癒すことのできない心の傷みを持っている。

自分が許せないのだ。
だから傷みが手放せない。

許せないのは、観念=マイルール に縛られているから。

こう・あるいは・そう・できなかった自分に【罪悪感】を感じ、
その罪悪感から自分責めると、それを裁く【裁判官】の自分が生まれ、
そして罰を受ける【被害者】の自分が生まれる。

そうしてすっかり自分をめった打ちにして、
こんなわたしダメだ・・・と、自信を失ったところに生まれるのが【依存心】

わたしはダメだから、誰か助けて。愛して。


自分の中でたくさんの自分が自虐のシステムの役割を果たしている。
感情のドラマを演じるために。

ぐるぐる・ぐるぐる 

観念⇒罪悪感⇒裁判官⇒被害者⇒依存心⇒(上書きされる)観念⇒・・・


観念なんて思い込みだから、
罪悪感の心地悪い感情を感じたら、すぐさま何に悪いと思っていて言い訳しているのか
正直に聴けばいい。
気付いたらやり直しできないことはない。
それすら思い込みだ。

その瞬間を過ぎれば今じゃない。
今以外ない。




お母さん、
体張ってこのことに気付かしてくれてありがとう。

お母さんとわたしとお父さんの関係は、
そのままわたしの内にある、知らないゆえの幼い愛の表現。

もう必要ないから手放すね。

幼いがゆえの愛を知ったら、
高い愛がどんなものかわかるもの。

一方を知ってもう一方を知る。

わたしは高い愛を選択するよ。



お母さん、本当にありがとう。
心から愛しています。
















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